今回は恩田陸さん著の「蜜蜂と遠雷(上)」を読んだ感想です。
文章だけでここまで音楽を「体感」できるとは思いませんでした。「聴く」ではなく「体感」と表現しているのは、音楽は耳から感じ取るだけでなく、全身で響きを感じ取るものだと考えているからです。そして4人のコンテスタントが心の中に抱えている繊細さ、音楽に対する思い、やもすれば「パンドラの箱」のような何かがありありと伝わってきました。私も趣味でバイオリンを弾きますが、楽器は違えど、彼らの音楽観には非常に考えさせられるものがあります。
ストーリー
近年音楽界でスターを輩出している芳ヶ江国際ピアノコンクールが舞台。コンクールのオーディションである出場者が目に留まる。その名は「風間塵」。なんでもピアノ界の巨匠ユウジ・フォン=ホフマンの推薦状付き。氏曰く「劇薬」だとか。彼は養蜂家の息子で移動生活をしており、家にピアノを持たないが、オーディションで聴衆を圧倒する。消えたかつての天才少女「栄伝亜夜」、王子こと「マサル」、最初で最後という覚悟の楽器店勤務「高島明石」。彼らコンテスタントがコンクールを通じて交流し互いに成長する物語。
感想・心に残ったフレーズなど
ピアノコンクールの商業的・興行的効果
http://music.fukuon.net/piano-learning-objectives/concours.shtml
上記のサイト(参照日2019/4/21)によると、日本だけでも1年間で139本のコンクールが開催されます。これには私も驚きました。実際にコンクールにどれだけの効果があるかは調べられませんでしたが、コンテスタの宿泊代、ホールの使用料などを考えるとかなりの効果があるように思えます。すると「コンクールとはいったい誰のものなのか」という疑問がふとでてきます。
西洋音楽を東洋人がやる意味とは何なのか
これは東洋人に生まれてきて西洋音楽をやっている人すべてに問いかけている質問だと思います。もっというと「私たちが日本人でいる意味は何なのか」、「私たちが日本人として世界にどう貢献していくか」など自分自身の人生のテーマに対する問いにつながると思います。芳ヶ江国際コンクールは日本のコンクールなので、アジア系の参加者が大半を占めていますが、彼らはそれぞれ何を思って弾いていたのか。そもそも「音楽に人種なんて関係ないじゃん」といったらそれまでですが。
オリジナル曲「春と修羅」を聞いてみたい
これは映画化で楽しみな部分ですね。Popやロックをはじめとする歌詞がある音楽では作詞をしてから曲を書くというパターンがありますが、この作品の場合、小説の文章から歌詞のない曲を書き起こすという形になるので、どのように曲が表現されるかが楽しみです。さらにこの曲のカデンツァでは楽譜がなく、「自由に宇宙を感じて」という指示のみが書かれています。このカデンツァが音になるとどうなるのかが特に気になります。カデンツァに対する対策もコンテスタントそれぞれで違い、師匠と入念に相談する者、本当に指示通り即興で弾く者がいておもしろいです。私だったら、即興で弾くかなぁ(用意周到な準備ができないだけ)・・・
まとめ
ピアノコンクールの奥深さ、音楽のパワーを文字で感じ取れる一作です。下巻も早速購入したので、次はそちらの感想も書きます。